おばあちゃん
先日祖母がなくなりました。
102歳でした。
私の母方の祖母。
自分が高校の頃に大阪から島根に戻ってきて一緒に暮らしていました。
途中からは近くに小さな家を建てて一人で住んでいました。
家が近いので自分の実家から買い物かごに夕食を入れて運んだりしていました。
ずーっと前に、足裏健康法の本とマッサージ用の棒(足心棒)をあげたら喜んで何十年も
使ってくれていました。
もう買い物かごもマッサージ棒も使うことはありません。
晩年は体は弱って寝ていることが多かったですが、自分で歩くこともできました。
100歳のお祝いにはたくさんのメッセージや花も頂きました。
3年前の4月に仕事で出雲に帰ったときのこと。暖かくて天気も良いし、使い物にするというので
出西織の工房におばあちゃんを車で連れて行った事があります。
いつもデイケアにいくところからそんなに離れていない場所なのですが、「遠くまでつれてきて
くれてありがとう、ありがとう」と何度もお礼を言ってくれるおばあちゃん。「なんか夢のようだわ」
とも言っていました。
亡くなったときはお昼でも食べようかといいながら静かに息をひきとったそうです。
母と岐阜から来ていた叔母がそばにいることができました。
自分は最近はたまにしか帰れなかったけど、ほかの孫たちに比べればたくさん会う事が
できました。
気が強かったし、細かいことも気にするおばあちゃんだったけど、
最近はとても涙もろくなってました。
僕には大事なただ一人のおばあちゃんでした。
今はきっとおじいちゃんやおばあちゃんの娘たちといっしょのところにいるのでしょう。
どうか安らかに。
さようなら、おばあちゃん ありがとう
102歳でした。
私の母方の祖母。
自分が高校の頃に大阪から島根に戻ってきて一緒に暮らしていました。
途中からは近くに小さな家を建てて一人で住んでいました。
家が近いので自分の実家から買い物かごに夕食を入れて運んだりしていました。
ずーっと前に、足裏健康法の本とマッサージ用の棒(足心棒)をあげたら喜んで何十年も
使ってくれていました。
もう買い物かごもマッサージ棒も使うことはありません。
晩年は体は弱って寝ていることが多かったですが、自分で歩くこともできました。
100歳のお祝いにはたくさんのメッセージや花も頂きました。
3年前の4月に仕事で出雲に帰ったときのこと。暖かくて天気も良いし、使い物にするというので
出西織の工房におばあちゃんを車で連れて行った事があります。
いつもデイケアにいくところからそんなに離れていない場所なのですが、「遠くまでつれてきて
くれてありがとう、ありがとう」と何度もお礼を言ってくれるおばあちゃん。「なんか夢のようだわ」
とも言っていました。
亡くなったときはお昼でも食べようかといいながら静かに息をひきとったそうです。
母と岐阜から来ていた叔母がそばにいることができました。
自分は最近はたまにしか帰れなかったけど、ほかの孫たちに比べればたくさん会う事が
できました。
気が強かったし、細かいことも気にするおばあちゃんだったけど、
最近はとても涙もろくなってました。
僕には大事なただ一人のおばあちゃんでした。
今はきっとおじいちゃんやおばあちゃんの娘たちといっしょのところにいるのでしょう。
どうか安らかに。
さようなら、おばあちゃん ありがとう
タグ:祖母
2012-02-10 21:55
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